私と純日記

主に週報

世界が自分を変えないように

今日後輩から人間関係の悩みを聞いた。薄々、傍から見ていてなんともいえない空気感は感じていたが、いざ後輩から話を聞くとなるほどなと思うことが多かった。

いわゆるアンコンシャス・バイアス(=無意識の思い込み)が激しい場面で疲弊しているような感じだった。特に、いじってもいいキャラ扱いされている人が真面目なことを言ってても茶化される、腐されるのを見るのがつらいし、自分もそういう扱いをされることがあってつらいと。

www.unconsciousbias-lab.org

 

いや、こういうのをアンコンシャス・バイアスと呼ぶのかもあまりよくわかってないのだが、無意識に「この人はいじっても大丈夫な人だ」と烙印を押して、行き過ぎた言動をし、周りもそんなもんだと思ったり自分も自分を守るためにその時々を飲み込もうとしたりする。それってつらいよね。あの人と自分の扱いが違うって思いながら仕事するの、本当につらいよね。

私もどちらかというといじっていいと思われがちな方の人間だ。話すトーンが低く穏やかめだし小柄だからそうさせるのかもしれない(が、心の中はすさんでいるからめちゃムカつく)。でも、年を重ねてハッキリ結論を言える自信が多少ついたら、なめた態度を取る人もいなくなった。入社時、この人私のことなめてかかりそうと思ったら毅然とした態度を取るようにした。「これをされると嫌だからこうしたいです」「これは言ってくれないとわかりません」というように、ある程度ハッキリさせることにして予防したら、ちゃんと一線を超えなかった。

でもそれでいいんだろうか、なんでこっちが気張って防御しなきゃいけないんだ。…っていうのが本音かな。一人が少しだけ気をつけてくれれば、少しだけ気持ちを汲んでくれればいいのに「自分自身が変わらなきゃ何も変わらない」なんて言葉で着地されてしまう。それは間違ってはいないが、合ってもいないときもあるとは思う。

後輩と一緒に推進している仕事があるんだが、物事を推進する力を身につけると、自分が信じる未来を具体的に出来るし世界が変わってみえるから一緒にやっていこう、と伝えた。結局のところ、自分で何かを推進する力、誰かを巻き込む力、みたいなスキルは自分の信じる道を叶えるために身につけるものだと思う。自己効力感を武器に、居心地のいい場所を作っていくためのスキルだ。

「自分のやりたいことで世界を変えられるわけではないが、世界が自分を変えてこないためにやりたいことをする」という言葉が好きなんだが(ちょっとどこで見た言葉か覚えてなくて恐縮)、世界に自分を変えられる筋合いなんで本当はないんだと思う。でも、絶えず世界は自分を歪ませに来るから、しょうがなく防衛して戦闘態勢になるしかない。やさしい人はやさしいままで、歓迎される世界を作って生きていけたらと思う。